十和田市議会 2021-09-09 09月09日-一般質問-03号
米田小学校跡地につきましては、留意事項として、記念碑は旧米田小閉校記念事業実行委員会が管理を行うなどの申し送りがございました。 次に、職員の中途退職についてのご質問にお答えいたします。 平成22年度以降、採用10年以内に退職した職員は、市立中央病院の医療職及び消防職の職員を除き、13人となっております。
米田小学校跡地につきましては、留意事項として、記念碑は旧米田小閉校記念事業実行委員会が管理を行うなどの申し送りがございました。 次に、職員の中途退職についてのご質問にお答えいたします。 平成22年度以降、採用10年以内に退職した職員は、市立中央病院の医療職及び消防職の職員を除き、13人となっております。
その十和田古道の工事記念碑は、子ノ口の丁字路の角にあります。しかも、月日山入り口から惣辺までの約12キロメートル区間に約7割の古道が残っていました。もっと驚くのは、この十和田古道の上に、惣辺に近いところに、戦国時代末期、天正年間に造られたと思われる城館跡が見つかったことです。長くなりますので、これは省きますが、この十和田古道は、もちろん霊山十和田への参詣のために造られた道であるわけです。
みなと体験学習館の位置する館鼻公園には、昭和8年3月の三陸大津波を忘れないために海嘯災記念碑が設置されており、その中に地震海鳴りほら津浪と銘文が刻まれ、私たち後世の人々に教訓として残されております。みなと体験学習館とともに、館鼻公園を防災学習の場と捉えて活用する視点も大切であろうかと思います。 東日本大震災より8年以上が経過し、特に義務教育の児童生徒においては、ほとんど震災の記憶がありません。
東二十一番町、つまり前谷地の公園隣接地に渋沢農場事務所跡地があり、そこに建立されたのが記念碑でございます。渋沢農場記念碑の除幕式が平成17年8月6日に行われました。 渋沢栄一氏は、生涯に500社以上の会社の設立にかかわり、日本資本主義の父と言われた人です。明治政府は、天皇の存在と権威を示すことを目的に全国を巡幸。
また、表紙の写真には、今回の特集記事のテーマである「スポーツ」に関連して、「青森山田高等学校正面左手側の記念碑前にて」を選定した。なお、今回の特集記事は青森山田高等学校サッカー部の黒田剛監督監督へのインタビューの内容を掲載していることから、原稿案においてはテーマを「スポーツ指導者」としている。なお、左下には目次を掲載している。
恐らくあそこのコウヤマキなどは、明治天皇が八戸にお越しになられたという記念碑もある場所ですので、やはり十分最善の手を尽くして守っていっていただきたいと、私たちも本当にあれだけ立派に育ったコウヤマキを誇りに思っておりますので、お願いしたいと思います。
それから、記念式典の会場使用料、それから記念講演、それから記念碑の事務費というふうなことで、今申し上げた合計が大体800万円ほどになってございます。 村としての考え方は、全体の1,300万円の事業費に対して積立金が750万円ほどあるんですけれども、先ほど申し上げた支出の項目に対して半額程度助成したいというふうなことで予算計上させていただいております。
また、市内にある弘前ゆかりの著名な作家や詩人らの文学碑などの場所をわかりやすく示した弘前の文学碑マップや、弘前公園内にある先人の石碑や記念碑をまとめた弘前公園の石碑めぐりを作成いたしまして、先人の原点や当市の歴史などに触れることができるよう努めてまいりました。
今残っている部分、部長は金かけて解体すると言うのだけれども、あそこに、小学校跡地にあったいろいろな記念碑なんかも建てているわけでしょう。だから、あの辺の人は、あそこをよりどころにしようとしてあそこに移しているわけでしょう。
合浦公園には、若者たちを励ますために「清く高く美事に希望の世界を進み抜く」という希望の言葉をこの世の私たちに残した記念碑がございました。そういった中で、本市が棟方志功についてさまざまな取り組みを今日まで行ってきたと伺っておりますが、そこで質問いたします。 本市のこれまでの取り組み、そして棟方志功について、今後の取り組み、方針についてお示しください。 以上で壇上からの質問を終わります。
現在の岩木山総合公園前には親子で植樹する記念の像が建立され、記念碑には、岩木山ろくに世界一の桜並木を、3村合併40周年記念事業と記され、建立趣旨には前段で述べた経緯が書かれ、植樹者の銘板を掲示し、自分の桜として成長を見守り、末永く管理してほしいと願い、この桜並木を後世に引き継ぐため建立したとあります。
昨年の4月29日、白上神社前で苫米地氏の偉業をたたえる記念碑が建立されましたが、今思えば江渡大臣の誕生を暗示していたようにも思えるのであります。 江渡大臣は、福祉分野はもちろんですが、防衛分野にかかわりが深く、長い間研さんを積んでこられました。実は、中村元市長時代、議員の間では自衛隊のヘリコプター部隊を招き、大平の牧野に駐屯基地をつくろうではないか、そう真面目に議論したことがあります。
当市には、東日本大震災以前から津波被害防止を市民に訴え続けている記念碑が幾つかあります。 ウミネコ繁殖地として国の天然記念物に指定されている蕪島には、昭和三陸地震津波で座礁した船のスクリューを使った海嘯災記念碑や、津波の高さを示した石碑などがありますが、最も規模が大きく市民の目に触れやすいものは、館鼻公園にある震嘯災記念碑であります。
あと上下水道管、校庭の擁壁及び立木、旧中学校と小学校の閉校記念碑、あと電柱とか防犯灯、防犯灯用のスピーカーを残すようにお願いして、その交渉をした結果、12月末ごろまでかかりましておおむね了承をいただきました。
苫米地さんの偉業をたたえる記念碑が建立されたのです。この日、白上稲荷神社には、建立実行委員会の代表を務めた大池神社宮司の松田隆さんを初め、地元の町内会員たちが大勢詰めかけました。市長も朝の掃除から、あるいは丸井裕県議の姿もあり、私も一緒にこの除幕式を祝いました。 実は、この建立する2週間の間、気になる光景を目にしました。市民がポリタンクに水をくんで車に運んでいるのです。
その功績は、県内至るところに建立されて記念碑の碑文によく表現をされている。すばらしいことだと私は思います。そして最後に、その足跡をたどるときに、まことに土地改良の父とも称すべき人であるというふうに紹介したことが書いております。まさにあなたのお父さんはそういう事業をやってきました。私たちの部落も開田をしてもらいましたし、北野だとか、いろいろなところでそういう事業を手がけた人であります。
◆田端 委員 うみねこラインですか、東山画伯の記念碑があって、周りの木が大きくなって景観が変わったと。それで伐採して原風景を保ってもらえばいいんでないかという意見をもらって、頼んで一、二カ月後に伐採されて、その様子がまたテレビで取り上げられて放映されたということがありました。全国的にも有名になったと思っています。おかげさまだと思っていましたのでお礼方々。 以上です。
小学生対象には、過去の津波の被害や記念碑、言い伝え、津波の速さ、強さ、怖さなどを通常の授業単元の中で学習しておりますが、際立っているのは中学生に対する内容です。津波のメカニズム、過去の被害、また、釜石市地域防災計画での防災体制を知るという内容とともに、災害が起こった場合に中学生として何ができるかを考えるという項目があります。小学生に対してどんな行動をとればよいのか。
しかも、明治時代の話になりますが、あの近辺は千島開拓の郡司大尉の鼎浦丸の遭難の記念碑も建っておりまして、この辺も貴重な歴史的なものになっておりますので、ここは整備をぜひよろしくお願いしたいということで終わります。 ○壬生 委員長 ほかに御質疑ありませんか。 ◆石橋 委員 通告しております2点、10款6項、国民体育大会費について、あと学校図書購入費についてです。